***** 驚くような世界観 > 満たされた宇宙のランドスケープ *****
地上の風景と宇宙のランドスケープとの比較
地上の実際の風景の地形図をもとに、山や谷や平地などを細かく表した3次元の石膏模型を考えてみよう。
そこに小さくて滑らかなボールを置いて、それをちょっと押してみたらどうなるだろう?
ボールは坂を転がり始めて、どこかの谷底で止まるだろう。
この場合、ボールはその高さ(縦軸の値)で決まる、位置エネルギーを持っている。
高さが高いほど位置エネルギーも大きい。
ボールは、最もエネルギーが低い場所に向かって転がるのだ。
そこは、少なくともボールが丘や山を乗り越えずにたどり着ける範囲の中では、エネルギーが最低になる場所である。
宇宙のランドスケープにも、同じように、高地、低地、山脈、谷などがある。
そして、それは数学的に構築したものなので、何でも転がすことができる。
そこで、ボールではなくて、(仮想の)宇宙全体を転がしてみよう。
宇宙のランドスケープの高さ(縦軸の値)が位置エネルギーであることは変わらない。
だから、ボールの場合と同じように、その(仮想の)宇宙は位置エネルギーが低いほうへ転がっていく。
だが、両者には大きな違いがあることに注意して欲しい。
地上の実際の風景の石膏模型の場合は、横軸は水平方向の場所を示している。
だから、ボールが転がると、水平方向の場所(例えば緯度と経度)が変化する。
しかし、宇宙のランドスケープの場合は、横軸は余剰次元がコンパクト化されるときのパラメータを示している。
だから、宇宙が転がると、それらのパラメータが変化して、真空の様子が変化することになる。
ランドスケープを転がる宇宙
宇宙のランドスケープにおいて、宇宙は小さなボールのように、より低いところを目指して転がっていく。
斜面に置かれたら、勢いよく転がり落ちていく。
丘の頂上に置かれたら、とても不安定だ。
しばらくその状態でいるかもしれないが、何かのきっかけでより低い方へ転がりだすかもしれない。
谷底だけが、それが静止できる唯一の場所だ。
だが、谷は必ずしもランドスケープで最も低い場所である必要はない。
周囲よりも低ければ、そこは谷底なのだ。
数学用語では、それを極小という。
転がる宇宙がそのような場所にたどり着いたら、ずっとそこにいるだろう。
そのようなランドスケープの極小点では、それに対応した真空の状態(すなわち物理法則)は安定している。
ランドスケープの中の各点で、それぞれの場が値を持つ。
その値こそ、真空の状態が如何なるものであるかを決定する。
さらに、場の値は素粒子の種類、それらの質量、相互作用の法則の特定の組み合わせなどを決めるのだ。
だから、宇宙がランドスケープのひとつの点から別の点に移動することは、真空の状態(すなわち物理法則)が変化することを意味する。
この、宇宙がランドスケープを転がるという考えは、現代的な宇宙論の全てにおいて中心的な役割を果たしている。
レオナルド・サスキンドによれば、宇宙の歴史とは、ランドスケープ上のある点から別の点へ移ることである。
では、その様子を少し眺めてみよう。
宇宙がマルチバースではなくユニバースだったら
宇宙はどのように始まったのだろう?
それは誰にも分からない。
だが、どんな始まり方をしたにしろ、分かっていることがひとつある。
過去のある時点では、宇宙はおそらく非常に大きなエネルギー密度を持ち、インフレーションの状態にあったはずだ。
そのとき、宇宙はランドスケープの谷の中に閉じ込められていたのではなく、僅かに傾いた台地に静止していたと思われる。
宇宙は、その緩やかに傾斜した台地をゆっくり転がっていき、その端で突然急勾配に達するや、一気に谷底へ転げ落ちた。
そして、持っていた位置エネルギーを熱と粒子に変換した。
これがいわゆるビッグバンだ。
※ これは、スローロール・インフレーション・モデルと呼ばれるものだ。
こうして、宇宙は私たちが現在いる谷底に落ち着いた。
そこは、人間原理的な小さな宇宙定数を持つ地点だった。
そういうことなのだ。
それが全てである。
私たちが知る宇宙論とは、真空エネルギーのある値からもうひとつの値へと、ほんの僅かな瞬間に転がり落ちることだったのだ。
興味深いこと全てが、ほんの僅かの間に起こった。
だが、この宇宙は、どのようにしてその僅かに傾いた台地の上に上がったのだろうか?
私たちには分からない。
だが、宇宙の出発点は信じがたいほどたくさんあったはずだ。
そして、生命が誕生して進化するような宇宙になるような出発点は、極めて稀だったはずだ。
永久インフレーションと泡(ポケット)宇宙
ランドスケープ上で、エネルギー密度がやや大きいという単純な条件だけを満たす場所に宇宙を置いてみよう。
その宇宙は、空間のほんの一片であってもよい。
あらゆる力学的な系と同じように、それは位置のエネルギーがより低いところに向かって進み始める。
おそらくそれは、どこかの谷にぽとんと落ち、インフレーションを始める。
インフレーションによって驚くべき量の空間のクローンが作られるが、それらは全てが同じ谷にある。
もちろん、もっと低い谷がある。
だが、そこへ行き着くには、谷の周囲の高い山などを乗り越えなければならない。
しかし、それに必要なエネルギーを持っていないので、それは不可能だ。
従って、空間の一片はそこに留まり、永久にインフレーションを続ける。
だが、真空は量子のゆらぎを持っている。
ちょうど過冷却した水の中で氷の小片が形成されるように、量子のゆらぎによって小さな泡が発生しては消える。
これらの泡の内部は、もっと高度が低い隣の谷にあるかもしれない。
このような泡の形成は絶えず起こっているが、ほとんどの泡は小さすぎて成長することができない。
泡を他の真空から隔てるドメインウォールの表面張力によって、泡は潰されてしまうのだ。
しかし、非常に稀だが、成長し始めるのに十分な大きさの泡がときどき形成されることがある。
ひとつの泡の内部を見てみよう。
そこは多くの場合、出発点となった谷よりもいくぶん高度の低い谷だ。
このポテンシャルの障壁を乗り越える現象は、量子トンネリングと呼ばれている。
泡の内部の空間もインフレーションを続けている。
ここで再び、同じことが繰り返される。
空間の新しい一片は今、新しい谷にある。
しかし、ほかのもっと低い谷もある。
最初の泡の内部で、次の世代の泡がもっと高度の低い、近くの谷の中に形成される。
そして、もしその泡の大きさが臨界点となる寸法より大きければ、その泡は成長し始める。
泡の内部のもうひとつの成長する泡だ。
クローンはその親と同一なので、親とクローンがランドスケープで同じ谷を占めていると考えることができる。
ランドスケープという想像上の世界では、余分な空間はいくらでもある。
親とは性質の違う泡が形成されると、その子孫は隣の新しい谷を占める。
泡の内部の空間もインフレーションが進むので、子孫は2つのことを始める。
すなわち、クローン化の過程と、さらに次の世代の泡を形成して新しい谷へ棲みつかせる過程だ。
この比喩的なコロニーは、ランドスケープに広がり始める。
最も高度の高いところにある空間の一片は、宇宙定数が非常に大きいので、クローン集団は最も速く成長する。
しかし、高い高度にいるクローン集団はもっと低い高度へも進出するので、下方の領域の集団も時間と共に増える。
結局、ランドスケープ中のどんな小さな場所にも、指数関数的に増殖する集団によって、何度も占められる。
なお、親の真空から子孫の泡が生まれる時、その変化は小さな積み重ねではなく、突然変異のような変化が生じる。
こうして、永久インフレーションはあらゆる種類の泡(世界)を荒々しく大量に生み出すのだ。
・宇宙物理学の記事 「永久インフレーションと泡宇宙」 →
こちら
参考図書
・「宇宙のランドスケープ」、レオナルド・サスキンド、(訳)林田陽子、日経BP社、2006年