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2022.04.08 Friday

宇宙物理学の話は、これで終了とします

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    先日、「宇宙物理学 これはパラダイムシフトなのか?」という記事をアップしました。

    その記事をもって、「宇宙物理学シリーズ」を終了したいと思います。
    長い間お付き合い頂いて、ありがとうございました。

    記事の総数は300近くにもなり、これには自分でも驚いています。
    コロナ禍で夜遊びを自粛していなかったら無理だったでしょうね。


    宇宙物理学はとても楽しいですが、やはり難しいです。
    理解できなかったことがたくさんあります。

    世の中には、数式で理解できる人と理解できない人がいると思っています。
    これは昔から感じていたことです。
    私は後者で、イメージというか、自分なりのモデルを構築していかないと、理解が進まないのです。

    だから、最初は一般向けの本でも最後まで読むことすらできませんでした。
    途中で頭が拒否反応を起こしてしまうのです。

    それでも、いろいろな本を読み進めていくと、自分なりに理解できることが少しづつ増えていきました。
    最初は点状のように散らばっていた理解が、やがて繋がって線状となり、さらに面状になっていきます。
    「あっ、あの本に書いてあったことは、そういうことなのか。」
    そう感じられる瞬間が、もう少し頑張ろうという原動力になっていきました。

    この10年ほどで、150冊ほどの本を読みました。
    ほとんどは何回も読み直しています。
    今までに、これほど集中して勉強したことがあっただろうか?
    高校の頃、同じだけ一生懸命に勉強していれば良かったなあ、と後悔しています(苦笑)。




    難しい理論は理解できなくても、自然界の仕組みはとても巧妙で不思議さに満ちあふれているのを感じることができました。
    それだけでも、宇宙物理学にアタックしてよかったと思っています。

    だから、宇宙物理学に関する勉強は継続するつもりです。
    そして、新たな理解が得られたら、追加で記事を書こうと思っています。


    さて、次は何に集中しましょうか?
    星空写真と言いたいところですが、自粛が長引いているせいか、モチベーションがかなり落ちてきてしまっています。
    70才を目前にして、以前のように夜遊びするのは正直言ってしんどいです。
    でもまあ、ぼちぼち再開しましょうかねえ。











    2022.04.06 Wednesday

    宇宙物理学  これはパラダイムシフトなのか?

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      ***** 驚くような世界観 > 私たちの宇宙はなぜこうなのか? *****



      パラダイムとは

      「パラダイム」とは、特定の時代や分野において支配的な規範となる「物の見方や捉え方」のことで、科学・思想・産業・経済など、さまざまな分野で用いられている。
      科学分野では、天動説や地動説などを意味する場合もあるそうだ。



      パラダイムシフト

      トーマス・クーンが提唱したパラダイムシフトとは、科学の発展段階において、それまでの規範・原則が突如としてくずれて劇的に変革を遂げる、というものだ。
      その最もわかりやすい例が、天動説から地動説への移行だろう。
      地球が宇宙の中心という考え方から、太陽が中心である、という全くこれまでと異なった考え、新たなパラダイムへの変革が、17世紀、ガリレオ・ガリレイの時代に突如として起こったことはよく知られている。

      人類は、長い歴史の中でパラダイムシフトを何度も経験してきている。
      科学の分野で言えば、
         ・コペルニクスやガリレイの地動説
         ・ダーウィンの進化論
         ・ニュートンによる万有引力の発見
         ・アインシュタインによる相対性理論
      などが代表的な例だ。
      その時代には常識と考えられていたことを覆すような発見や説が唱えられ、概念や価値観がすっかり移り変わったという点が共通している。

        ・「宇宙観のパラダイムシフト」、杉山直(IPMU主任研究員)、IPMU News (2011) → こちら


      アインシュタインは、「問題は引き起こしたときと同じ考えでは解決できない」と言ったそうだ。

      人類の宇宙観を根本から変えたこのようなパラダイムシフトが、20世紀以降にも、繰り返し起こってきた。
      また、現在も進行中であるという。
      宇宙論と呼ばれる研究分野の進展が、人類の宇宙観を再び大きく揺さぶっているのだ。



      宇宙論のパラダイムシフト

      レオナルド・サスキンドは、以下のように言っている。

      現代の宇宙論のパラダイムはそれほど古くない。
      1960年代の初めには、宇宙のビッグバン理論にはまだ強力な競争相手があった。
      定常宇宙論は、ある意味でビッグバン理論に対する論理的な対極にあった。
      ビッグバン理論は宇宙には始まりがあると主張したが、定常宇宙論は宇宙はずっと存在していると主張した。

      だが、数年すると、定常宇宙論はビッグバン説に取って代わられ、まもなく忘れ去られた。
      勝利を得たビッグバン・パラダイムは、膨張する宇宙は生まれてからわずか約百億年で、約百億光年の大きさであると主張した。
      しかし、両者の理論に共通しているのは、宇宙は均質であるという考えだった。

      そして数十年の間に、宇宙論が大まかで定性的な科学から非常に厳密で定量的な科学へと成熟していった。

      しかし、ごく最近になって、ジョージ・ガモフのビッグバン理論の基礎的な枠組みが、より説得力のあるアイデアにその座を譲り始めた。
      新しい世紀の幕開けと共に、私たちは、宇宙観を永久に変える可能性のある重要な転換点に立っていることに気づき始めている。
      新しい事実や新しい方程式の発見を上回る何かが起こりつつある。
      思考に関する私たちの見方や枠組み、物理学と宇宙論をめぐる認識の全体が大きな変動にさらされている。

      宇宙はただひとつで、約百億年の歴史を持ち、百億光年の大きさで、ただひとつの物理法則に支配されている、という視野の狭い20世紀のパラダイムは、もっと格段に大規模で、新しい可能性をはらんだ何かに取って代わられようとしている。
      私(レオナルド・サスキンド)のような物理学者や宇宙論研究者たちは、私たちのいる百億光年の広がりを持つこの宇宙は、巨大なメガバースにある非常に小さなポケットのひとつだと考えるようになってきている。
      同時に、理論物理学者は、普通の自然法則を、数学的な存在可能性が織りなす巨大なランドスケープのちっぽけなひと隅でしか意味を持たないものに格下げしてしまう様々な理論を提起している。



      私たちはパラダイムシフトの中にいるのか?

      20世紀初頭には、まだ星雲(Nebula)と呼ばれるものが、天の川銀河の中にあるものなのか、それとも外にあるものなのかが、分かっていなかった。
      前者ならそれは文字通り星雲だし、後者ならそれは天の川銀河と同じような星の集団(島宇宙)だ。
      しかし、その数年後にエドウィン・ハッブルがアンドロメダ銀河までの距離を測定して、それが後者であることが明らかになった。

      わずか100年前には、人類の宇宙観はそんなレベルだったのだ。
      私が学生の頃は、アンドロメダ銀河は「アンドロメダ大星雲」と呼ばれていたのを思い出す。

      その後の宇宙論の進展は目を見張るばかりだ。
      今や、それは「精密宇宙論」と呼ばれている。

      だが、私がその中身を知ったのは、ごく最近のことだ。
      ビッグバンや宇宙マイクロ波背景放射は、その名称は知っていたが、詳細は知らなかった。
      だから、私にとっては、全てのことがパラダイムシフトのように感じる。

      それらを咀嚼して本当に受け入れられるようになるには、時間がかかるだろう。
      でも、確かにパラダイムシフトの中にいるような気はする。



      参考図書
        ・「宇宙のランドスケープ」、レオナルド・サスキンド、(訳)林田陽子、日経BP社、2006年











      2022.04.03 Sunday

      宇宙物理学  多宇宙論は科学か?

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        ***** 驚くような世界観 > 満たされた宇宙のランドスケープ *****


        ブライアン・グリーンによると、多宇宙論に関する支持派と否定派の議論は凄まじいと言う。
        特に、超弦(ひも)理論のランドスケープとそこから生じる多宇宙関連の議論ほど、感情が高ぶって、表現が辛辣になるのを見たことがないそうだ。



        多宇宙論

        物理学的に宇宙を考察すればするほど、この宇宙がいかに特殊で奇妙なものかが明らかになってくる。
        このため、マルチバースを考えたほうが宇宙を理解しやすくなる。
        しかし、マルチバースの考え方には欠点もある。
        まず、それがあるかどうかを確かめる手段が、今のところ見当たらないことだ。



        カール・ポパーによる科学の定義

        科学かどうかの話になると、必ずと言ってよいほど引用されるのがカール・ポパーだ。

        オーストリア出身の英国の哲学者であるカール・ポパーは、
        「反証可能性のないものは科学ではない」
        という、現在では広く受け入れられている考えを世に広めた。


        彼の考えでは、科学を科学たらしめているのは、その「検証可能性」ではなく「反証可能性」なのだ。
        だから、科学理論(仮説)は実験や観測によって反証できなくてはならない。

        多宇宙という考え(仮説)は、その存在を確かめる手段が今のところ見当たらない。
        原理的にさえ検証可能でない理論は、論理的に反証不可能だ。
        だから、ポパーの定義によると、それは非科学的ということになる。



        マックス・テグマークの反論

        マックス・テグマークは、簡単にまとめると、以下のように反論している。

        多宇宙は理論ではなく、理論から導かれる予測なのだ。
        考えている理論が科学的であるなら、その理論から導き出せるすべての結果を導き出し、検討することも、たとえそこに観測できないような対象が含まれていたとしても、正当な科学なのだ。
        理論が反証可能であるためには、その理論のすべての予測が観測により検証可能である必要はなく、単に、少なくとも一つの予測がそうであればよい。



        グレーの諧調の中の科学

        青木薫さんは、この状況を「グレーの諧調の中の科学」と表現している。


        人間原理をめぐる問題は大きく変質した。
        今日、人間原理をめぐる論争の真の争点は、「多宇宙論は科学なのか」ということだ。

        多宇宙論は科学ではないと考える人たちの最大の論拠は、他の宇宙を直接的に観測することは、未来永劫決してできないという点だ。
        見ることも触ることもできないものの存在に頼ることは、観測と実験に基づく科学の方法とは言えないのではないだろうか?というのだ。

        もちろん、観測や実験は科学の根幹だ。
        しかしその一方で、科学の理論には、直接的には観測できないものがしばしば登場するのも事実なのだ。

        理論から出てきたものに対して慎重なのは、科学者として健全な態度というべきだろう。
        しかし、物理学の歴史を振り返ってみれば、物理学者よりも自然のほうが大胆だったということが、たびたび起こったのも事実だ。
        ワインバーグは、そんな物理学者たちの過度の慎重さに警鐘を鳴らして、
        「物理学者は理論を信じすぎるのではない、信じ方が足りないのだ」と言った。


        また、人間原理は「敗北主義」だという人たちもいる。
        確かに、目的論を受け入れるのは科学にとって敗北だろう。
        しかし、実質的には多宇宙論と同じになった人間原理のどこが敗北なのだろう?
        それが敗北主義と見なされるのは、物理定数が今のような値になっているのは、本質的に「たまたま」だ、ということになってしまうからだ。
        物理学者は「たまたま」を嫌う。

        だが、今日の多宇宙論に基づく観測選択効果は、素朴な「たまたま」とはずいぶん違っている。
        満たされた宇宙のランドスケープの例からもわかるように、この場合の「たまたま」は、必ずしも理論のお手上げ状態を意味しない。
        敗北どころか大きな進展と言えるのではないだろうか?
        これは驚くべき宇宙観の転換だろう。

        もうひとつ、「人間原理はなんら具体的な予測をしないではないか」という批判がある。
        それゆえ、検証可能な予測をできない人間原理は科学でない、という考え方が出てくるのも無理はない。
        しかし、人間原理は何か具体的な予測をすべき理論ではないのだ。
        人間原理は、「宇宙はこのような宇宙でしかありえない」という暗黙の前提を疑う、いわばカウンターの役割を果たす指導原理のようなものであって、数値をはじき出すべき理論ではないのだ。



        今後がますます楽しみだ

        村山斉さんは、次のように言っている。

        無数の宇宙が存在するかどうかは、どうやって確かめられるのだろうか。
        ここまで来ると科学なのか、哲学なのか、その境界があいまいになってくる。
        とは言っても、物理学の進歩はとても面白いところまでやってきた。


        その通りだと思う。



        参考図書
          ・「幸運な宇宙」、ポール・ディヴィス、(訳)吉田三知世、日経BP、2005年
          ・「宇宙のランドスケープ」、レオナルド・サスキンド、(訳)林田陽子、日経BP社、2006年
          ・「宇宙は本当にひとつなのか」、村山斉、講談社ブルーバックス、2011年
          ・「隠れていた宇宙」、ブライアン・グリーン、(訳)太田直子、早川書房、2011年
          ・「宇宙に外側はあるか」、松原隆彦、光文社新書、2012年
          ・「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」、青木薫、講談社現在新書、2013年
          ・「数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて」、マックス・テグマーク、(訳)谷本真幸、講談社、    2014年
          ・「マルチバース宇宙論入門」、野村泰紀、星海社新書、2017年
          ・「不自然な宇宙 宇宙はひとつだけなのか?」、須藤靖、講談社ブルーバックス、2019年











        2022.03.31 Thursday

        宇宙物理学  満たされたランドスケープ

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          ***** 驚くような世界観 > 満たされた宇宙のランドスケープ *****



          話を少し整理しよう

          宇宙は何故このような宇宙なのだろうか?という疑問の答えを求めて、やっとレオナルド・サスキンドの「宇宙のランドスケープ」という概念にたどり着いた。
          途中も含めて、その世界観は驚きの連続だった。
          自分の頭を整理するためにも、大まかな話の流れを整理しておく。



          宇宙は何故このような宇宙なのだろうか?

          アインシュタインも「本当に興味深いのは、神はこれ以外の世界を作り得たのだろうかということだ」と言っている。
          宇宙の設計図に選択肢はあったのだろうか?(無かったのだろうか?)

             ↓

          宇宙に関する研究が、観測面でも理論面でも大きく進歩して、いろいろなことが分かってきた。

          どうも、この宇宙は私たち人間の存在にとって不思議なくらい、というより途方もないほど、精妙に設計されているようなのだ。
          自然界の有様(ありよう)や振る舞いは、物理法則や様々な定数(パラメータ)に支配されている。
          それらの値が少しでも違っていたら、宇宙の有様(ありよう)が大きく変わって、生命が存在する可能性はほとんど皆無だったという。

             ↓

          では、宇宙は何故、私たちのような生命体が存在できるように特別に設計されたように見えるのだろうか?
          ほとんどの物理学者は、それは「たまたま」だろうと思っていた(いる)そうだ。
          なぜなら、いつか究極の理論が見つかって、その問題はエレガントに説明されるだろうと考えていたからだ。
          だが、現在までにそのような理論は見つかっていない。

          念のために言っておくが、物理学者は創造主の存在は決して受け入れない。

             ↓

          ブランドン・カーターが「人間原理」という概念を提案した。
          これは、宇宙の有様(ありよう)や物理法則がこうなのは、そうでないと私たちが存在できないからだという主張だ。
          しかし、「観測者」という言葉の意味不明さや、目的論の匂いを振りまいたことのマズさもあって、多くの物理学者の神経を逆なでしてしまったようだ。

             ↓

          だが、解決の糸口さえ一向に見つからない状況が続いた。
          特に、真空のエネルギー(宇宙定数)が何故こんなに小さいのかという問題は、完全にお手上げの状態だった。

             ↓

          スティーヴン・ワインバーグは、死に物狂いで考えた末に、(無謀なことに)考えられないようなことを示唆した。
          もしかしたら、弦(ひも)理論やその他のいかなる数学的な理論の帰結とは全く無関係な理由のために、宇宙定数は非常に小さいのではないかというのだ。
          このロジックは、上記の人間原理だ。

          やがて、この宇宙の有様(ありよう)を私たちが持っている理論だけでは説明することができない、という問題を真剣に受け止める物理学者が徐々に増えていった。
          だが、人間原理をそのまま受け入れることには大きな抵抗を感じていた。

             ↓

          だが、もしも宇宙が無数に存在し、それぞれの宇宙で物理法則や様々な定数(パラメータ)が異なっていたらどうだろう?
          そんな宇宙の中には、その有様(ありよう)が私たちのこの宇宙と同じものがきっとあるはずだ。

          つまり、私たちは無数にある宇宙のなかで、たまたま私たちの存在を許すような宇宙に存在している、というだけのことになる。
          これは単なる観測選択効果のようなものにすぎないではないか。

             ↓

          それでは、「宇宙は私たちの宇宙だけでなく、有様(ありよう)や振る舞いの異なる無数の宇宙がある」のだろうか?

          そう考えている研究者は少なくない。
          永久インフレーションの考えによると、泡(ポケット)宇宙が無数に誕生するという。
          その泡の中では、内部は無限の大きさの宇宙のように見えるそうだ。
          そして、超弦(ひも)理論によると、宇宙の青写真の種類は、10500を下らないという。

             ↓

          レオナルド・サスキンドが「宇宙のランドスケープ」という概念を提案した。
          ランドスケープは可能性の空間で、そこには、山、谷、丘、平原、といった地勢や地形がある。
          谷底は、宇宙が安定に存在できるところで、それぞれで真空の状態(すなわち物理法則)が異なっている。

          宇宙は小さなボールのように、より低いところを目指して転がっていく。
          どこかの谷にぽとんと落ちた宇宙は、インフレーションを始め、驚くべき量の空間のクローンが作られる。
          同時に、量子トンネル現象によって、その一部がより低い谷に移っていく。
          それらの過程が繰り返されて、宇宙の存在がランドスケープに広がっていく。
          高度が非常に低い谷底にたどり着いた宇宙は、インフレーションが終了し、ビッグバン状態になる。
          それ以外の宇宙は、永久にインフレーションが継続する。
          こうして、ランドスケープ中のどんな谷でも、宇宙が存在するようになる。



          満たされたランドスケープ

          物理法則にたくさんの可能性を生じさせる「理論」を論じることと、自然が「実際に」その可能性を全て利用しつくすかどうかは、全く別の話だ。

          数学的な解が、物理的存在と同じではないのは明らかだ。
          たとえ超弦(ひも)理論に10500個の解があることを発見したとしても、その解に対応する環境がどのように出現したか分からなければ、私たちの世界に関して何も説明したことにはならない。


          量子論の世界では、「自然は何らかのやり方で一切の可能性を利用しつくす」という考えがある。

            ・宇宙物理学の記事 → こちら

          では、メガバースには全ての可能性を利用しつくすような自然のメカニズムがあって、数学的な可能性を物理的実在に変えるのだろうか?
          レオナルド・サスキンドの答えは「YES」であり、その考え方を「満たされたランドスケープ」と呼んでいる。


          基礎となるメカニズムが依っているのは、一般相対性理論と普通の量子力学の運用だけだ。
          ランドスケープがどのようにして「満たされる」かを理解するためには、2つの非常に基本的な物理的概念を検討する必要があるという。
          ひとつめは、真空の準安定性だ。
          それは、真空の性質が、ほんの僅かな前触れしか無しに、あるいは何の前触れもなく変化することがありうる、という事実を意味する。
          ふたつめの概念は、空間がそれ自体のクローンをつくるということだ。


          これ以降は長くなるので、省略させて下さい。


          なお、「満たされたランドスケープ」とは「populated Landscape」の訳だ。
          レオナルド・サスキンドさんの本を訳した林田陽子さんも、この訳には頭を悩まされたと言っている。
          「田んぼが雪解け水で満たされる」とか「部屋全体が果物の香りで満たされた」という言い方があるように、日本語として最も適切だと思われたそうだ。



          参考図書
            ・「宇宙のランドスケープ」、レオナルド・サスキンド、(訳)林田陽子、日経BP社、2006年











          2022.03.28 Monday

          宇宙物理学  ランドスケープを転がる宇宙

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            ***** 驚くような世界観 > 満たされた宇宙のランドスケープ *****



            地上の風景と宇宙のランドスケープとの比較

            地上の実際の風景の地形図をもとに、山や谷や平地などを細かく表した3次元の石膏模型を考えてみよう。
            そこに小さくて滑らかなボールを置いて、それをちょっと押してみたらどうなるだろう?
            ボールは坂を転がり始めて、どこかの谷底で止まるだろう。
            この場合、ボールはその高さ(縦軸の値)で決まる、位置エネルギーを持っている。
            高さが高いほど位置エネルギーも大きい。
            ボールは、最もエネルギーが低い場所に向かって転がるのだ。
            そこは、少なくともボールが丘や山を乗り越えずにたどり着ける範囲の中では、エネルギーが最低になる場所である。


            宇宙のランドスケープにも、同じように、高地、低地、山脈、谷などがある。


            そして、それは数学的に構築したものなので、何でも転がすことができる。
            そこで、ボールではなくて、(仮想の)宇宙全体を転がしてみよう。
            宇宙のランドスケープの高さ(縦軸の値)が位置エネルギーであることは変わらない。
            だから、ボールの場合と同じように、その(仮想の)宇宙は位置エネルギーが低いほうへ転がっていく。


            だが、両者には大きな違いがあることに注意して欲しい。
            地上の実際の風景の石膏模型の場合は、横軸は水平方向の場所を示している。
            だから、ボールが転がると、水平方向の場所(例えば緯度と経度)が変化する。
            しかし、宇宙のランドスケープの場合は、横軸は余剰次元がコンパクト化されるときのパラメータを示している。
            だから、宇宙が転がると、それらのパラメータが変化して、真空の様子が変化することになる。



            ランドスケープを転がる宇宙

            宇宙のランドスケープにおいて、宇宙は小さなボールのように、より低いところを目指して転がっていく。

            斜面に置かれたら、勢いよく転がり落ちていく。
            丘の頂上に置かれたら、とても不安定だ。
            しばらくその状態でいるかもしれないが、何かのきっかけでより低い方へ転がりだすかもしれない。
            谷底だけが、それが静止できる唯一の場所だ。

            だが、谷は必ずしもランドスケープで最も低い場所である必要はない。
            周囲よりも低ければ、そこは谷底なのだ。
            数学用語では、それを極小という。
            転がる宇宙がそのような場所にたどり着いたら、ずっとそこにいるだろう。
            そのようなランドスケープの極小点では、それに対応した真空の状態(すなわち物理法則)は安定している。


            ランドスケープの中の各点で、それぞれの場が値を持つ。
            その値こそ、真空の状態が如何なるものであるかを決定する。
            さらに、場の値は素粒子の種類、それらの質量、相互作用の法則の特定の組み合わせなどを決めるのだ。

            だから、宇宙がランドスケープのひとつの点から別の点に移動することは、真空の状態(すなわち物理法則)が変化することを意味する。
            この、宇宙がランドスケープを転がるという考えは、現代的な宇宙論の全てにおいて中心的な役割を果たしている。


            レオナルド・サスキンドによれば、宇宙の歴史とは、ランドスケープ上のある点から別の点へ移ることである。
            では、その様子を少し眺めてみよう。



            宇宙がマルチバースではなくユニバースだったら

            宇宙はどのように始まったのだろう?
            それは誰にも分からない。
            だが、どんな始まり方をしたにしろ、分かっていることがひとつある。
            過去のある時点では、宇宙はおそらく非常に大きなエネルギー密度を持ち、インフレーションの状態にあったはずだ。

            そのとき、宇宙はランドスケープの谷の中に閉じ込められていたのではなく、僅かに傾いた台地に静止していたと思われる。
            宇宙は、その緩やかに傾斜した台地をゆっくり転がっていき、その端で突然急勾配に達するや、一気に谷底へ転げ落ちた。
            そして、持っていた位置エネルギーを熱と粒子に変換した。
            これがいわゆるビッグバンだ。


               ※ これは、スローロール・インフレーション・モデルと呼ばれるものだ。

            こうして、宇宙は私たちが現在いる谷底に落ち着いた。
            そこは、人間原理的な小さな宇宙定数を持つ地点だった。
            そういうことなのだ。
            それが全てである。
            私たちが知る宇宙論とは、真空エネルギーのある値からもうひとつの値へと、ほんの僅かな瞬間に転がり落ちることだったのだ。
            興味深いこと全てが、ほんの僅かの間に起こった。

            だが、この宇宙は、どのようにしてその僅かに傾いた台地の上に上がったのだろうか?
            私たちには分からない。
            だが、宇宙の出発点は信じがたいほどたくさんあったはずだ。
            そして、生命が誕生して進化するような宇宙になるような出発点は、極めて稀だったはずだ。




            永久インフレーションと泡(ポケット)宇宙

            ランドスケープ上で、エネルギー密度がやや大きいという単純な条件だけを満たす場所に宇宙を置いてみよう。
            その宇宙は、空間のほんの一片であってもよい。
            あらゆる力学的な系と同じように、それは位置のエネルギーがより低いところに向かって進み始める。
            おそらくそれは、どこかの谷にぽとんと落ち、インフレーションを始める。
            インフレーションによって驚くべき量の空間のクローンが作られるが、それらは全てが同じ谷にある。

            もちろん、もっと低い谷がある。
            だが、そこへ行き着くには、谷の周囲の高い山などを乗り越えなければならない。
            しかし、それに必要なエネルギーを持っていないので、それは不可能だ。
            従って、空間の一片はそこに留まり、永久にインフレーションを続ける。


            だが、真空は量子のゆらぎを持っている。
            ちょうど過冷却した水の中で氷の小片が形成されるように、量子のゆらぎによって小さな泡が発生しては消える。
            これらの泡の内部は、もっと高度が低い隣の谷にあるかもしれない。
            このような泡の形成は絶えず起こっているが、ほとんどの泡は小さすぎて成長することができない。
            泡を他の真空から隔てるドメインウォールの表面張力によって、泡は潰されてしまうのだ。
            しかし、非常に稀だが、成長し始めるのに十分な大きさの泡がときどき形成されることがある。


            ひとつの泡の内部を見てみよう。
            そこは多くの場合、出発点となった谷よりもいくぶん高度の低い谷だ。
            このポテンシャルの障壁を乗り越える現象は、量子トンネリングと呼ばれている。


            泡の内部の空間もインフレーションを続けている。
            ここで再び、同じことが繰り返される。
            空間の新しい一片は今、新しい谷にある。
            しかし、ほかのもっと低い谷もある。
            最初の泡の内部で、次の世代の泡がもっと高度の低い、近くの谷の中に形成される。
            そして、もしその泡の大きさが臨界点となる寸法より大きければ、その泡は成長し始める。
            泡の内部のもうひとつの成長する泡だ。


            クローンはその親と同一なので、親とクローンがランドスケープで同じ谷を占めていると考えることができる。
            ランドスケープという想像上の世界では、余分な空間はいくらでもある。
            親とは性質の違う泡が形成されると、その子孫は隣の新しい谷を占める。
            泡の内部の空間もインフレーションが進むので、子孫は2つのことを始める。
            すなわち、クローン化の過程と、さらに次の世代の泡を形成して新しい谷へ棲みつかせる過程だ。
            この比喩的なコロニーは、ランドスケープに広がり始める。
            最も高度の高いところにある空間の一片は、宇宙定数が非常に大きいので、クローン集団は最も速く成長する。
            しかし、高い高度にいるクローン集団はもっと低い高度へも進出するので、下方の領域の集団も時間と共に増える。
            結局、ランドスケープ中のどんな小さな場所にも、指数関数的に増殖する集団によって、何度も占められる。


            なお、親の真空から子孫の泡が生まれる時、その変化は小さな積み重ねではなく、突然変異のような変化が生じる。
            こうして、永久インフレーションはあらゆる種類の泡(世界)を荒々しく大量に生み出すのだ。


              ・宇宙物理学の記事 「永久インフレーションと泡宇宙」 → こちら



            参考図書
              ・「宇宙のランドスケープ」、レオナルド・サスキンド、(訳)林田陽子、日経BP社、2006年











            2022.03.25 Friday

            宇宙物理学 超弦(ひも)理論における宇宙のランドスケープ

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              ***** 驚くような世界観 > 満たされた宇宙のランドスケープ *****


              空間の目に見えない影響は「場」と呼ばれる。
              場には様々な種類があり、物理学者にさえあまり知られていない場もたくさんあるという。
              だが、場は確かに存在し、空間を満たして、素粒子の振る舞いなどを左右する。
              ランドスケープとは、このような理論的にありうる環境の全範囲を表すために、レオナルド・サスキンドがつくり出した用語だ。
              それは、可能性の空間であり、理論で許容される全ての可能な環境の全体を風景に見立てたものである。



              真空、場、物理法則

              真空は一種の背景を意味し、その中でいっさいの物理が起こる。
              要するに、真空とは物理法則が何らかの特定の形をとる環境ということである。
              真空が異なるということは、物理法則が異なることを意味する。


              現代物理学の多くの領域に枠組みを与えているのが「場」という考え方だ。
              場というものは、空間の目に見えない性質で、それによって物理法則が決定されているのだ。
              そして、場が変化しうるから、物理法則は変化しうるのだ。


              物理法則は「真空の天候」に似ていると、レオナルド・サスキンドは言う。
              違うのは、その天候は温度や気圧や湿度で決まるのではなく、場の値によって決まることだ。
              そして、天候によって水滴の状態が決まるように、真空の環境によって、素粒子の種類とその性質などが決まるのだ。



              宇宙のランドスケープ

              前回、場の値(強さ)とエネルギーの関係の話をした。
              そして、磁場と電場からなる真空を考え、横軸の2次元で場の値(強さ)を表示し、縦軸でエネルギーを表示した。

              それでは、場の数が何百や何千になったらどうなるだろう。
              場の数が幾つでも、原理は同じだ。
              1000個の場がある場合には、(横軸の)次元の数は当然1000になる。
              そして、従来どおりに縦軸はエネルギーで表示する。

              この縦軸のエネルギーは、真空のエネルギーと解釈することができる。
              だから、全ての場が理解できたなら、宇宙の真空のエネルギーとして、どんな値があり得るかが分かるだろう。
              そして、それぞれの値は、場の値(強さ)としてどのような組み合わせによって実現されるかが分かるだろう。


              では、真空にはどれだけの場があり、それらは、どのように物理法則に影響を与えるのだろうか?
              残念ながら、それらが明らかになっているのは、電場や磁場やヒッグス場など、幾つかの場に限られている。
              それ以上は、自然の法則全般に関してもっと多くのことが発見されるまで明らかにならないようだ。



              超弦(ひも)理論

              自然の有様(ありよう)や仕組みを説明する究極の理論として、現状で最も期待されているのが超弦(ひも)理論だ。
              未だ完成には程遠いようだが、場の数は何百や何千にもなると予想されているそうだ。

              超弦(ひも)理論によると、空間は9次元もあるという。
              私たちが認識している空間は3次元なので、残りの6次元は小さく巻き上げられていて見えないそうだ。
              そのような空間次元は余剰次元と呼ばれている。

              余剰次元がどのように巻き上げられているかは、非常に重要だ。
              それは、その大きさや形などによって、私たちの4次元時空での物理法則と自然定数などが決まっているからだ。
              そして、余剰次元の大きさや形を決めるパラメータの数は500にもなるという。



              超弦(ひも)理論のランドスケープ

              余剰次元の大きさや形を決めるパラメータとして2つを選んで、ランドスケープを描いた例を下に示す。
              まさしく、山あり谷ありだ。


              横軸が2次元でもこれだけの複雑さなのだから、500次元にもなったらどうなるのか想像もつかない。
              実際問題として、ランドスケープの全貌を計算してみるなんて、とてもじゃないが不可能だ。


              レオナルド・サスキンドは以下のように言っている。

              ランドスケープは可能性の空間だ。
              そこには、山、谷、丘、平原、といった地勢や地形がある。
              しかし、普通の風景と違って、そこは3次元ではない。
              ランドスケープには何百、もしかしたら何千もの次元がある。

              ランドスケープの各点では、それぞれの場が値を持つ。
              「真空の天候」なるものは、その値の組み合わせによって決定される。
              そして、素粒子の種類、それらの質量、相互作用の法則の特定の組み合わせが決まることになる。

              ランドスケープの各点(言い換えれば場の全ての値)には、さらにエネルギー密度の値が対応している。
              そのエネルギー密度の値を縦軸で表すことにする。
              この縦軸を(通常の風景の)高度と考えれば、ランドスケープに山、谷、丘、平原、などができるというわけだ。

              宇宙の真空の様子は、ランドスケープのどこかに対応する。
              そして、ランドスケープの縦軸(高度)は、その宇宙の真空エネルギー(位置(ポテンシャル)エネルギー)になる。

              何度も言うが、ランドスケープは現実の場所ではない。
              それは数学的な建築物であり、ランドスケープ上のひとつの点は、可能な環境、すなわち物理学者が言う可能な真空を表す。


              レオナルド・サスキンドは横軸を「場」として説明しているが、これは話の流れの都合だと思う。
              ランドスケープの全貌を計算して示すことができない現状では、理解しやすいほうでイメージすればよいと思う。


              超弦(ひも)理論のランドスケープは非常に複雑で、多様で、面白い。
              その地形には多くの極小点(谷)があり、そこでは宇宙が安定して存在することができる。
              その数は10500にもなり、それぞれに独自の物理法則と自然定数があることになる。

              選べる可能性がそれだけたくさんあれば、多くの真空のエネルギーが、ワインバーグの人間原理的な主張、すなわち小数点以下119桁まで必要とされる正確さで相殺し合うことは十分に起こり得る。



              ランドスケープという用語

              ランドスケープは「風景」や「景色」という意味の言葉だ。

              だが、大きな分子を扱う物理学と化学の研究分野では以前から「用語」として使われていたそうだ。
              何百あるいは何千個もの原子から大きな分子が作られるとき、その可能な配置構造はずっと以前からランドスケープと呼ばれていた。

              宇宙論の分野では、超弦(ひも)理論における多数の真空について説明するために、レオナルド・サスキンドが2003年に初めて使用した。
              今ではすっかり定着している。



              参考図書
                ・「幸運な宇宙」、ポール・ディヴィス、(訳)吉田三知世、日経BP、2005年
                ・「宇宙のランドスケープ」、レオナルド・サスキンド、(訳)林田陽子、日経BP社、2006年











              2022.03.22 Tuesday

              宇宙物理学  場の値(強さ)とエネルギー

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                ***** 驚くような世界観 > 満たされた宇宙のランドスケープ *****


                「宇宙のランドスケープ」を理解するために、「場」に関してもう少し勉強しようと思う。

                場にはその値(強さ)に対応してエネルギーがある。
                そして、両者の対応は場によって異なっている。



                電場と磁場

                電場や磁場は、場として良く知られた例だ。

                場という概念は、19世紀中頃に、電磁場という形で初めて登場した。
                マイケル・ファラデーは、場を、運動に影響する空間の滑らかな乱れだと考えたのだ。

                場は何も無いところからできるわけではない。
                場をつくるにはエネルギーが必要だ。
                電磁気学の初期の頃、マイケル・ファラデーが場の概念を導入する前までは、エネルギーは電気回路の導線を通って流れる電流の中にあると考えられていた。
                しかし、空間を満たし、帯電した物体の振る舞いに影響を与える場、というファラデーの新しい自然観によって、回路要素よりも、場に注目が集まることになった。
                そして物理学者は、エネルギーが場そのものに起因するという考えには非常に価値があることをすぐに理解した。
                つまり、場があるところならどこでも、エネルギーがあるのだ。


                磁場の強さを横軸にとって、磁場に含まれるエネルギーを縦軸にとると、下図のようになる。
                磁場に含まれるエネルギーは、場の強さの値の2乗に比例する。



                電場も似たようなものなので、磁場と電場の両方を考えると、下図のようになる。
                横軸は2次元になり、磁場の強さと電場の強さを示している。


                磁場も電場もエネルギーを持つので、高く険しい壁に囲まれた深い鉢のように見える。



                ヒッグス場

                20世紀後半は、新しい素粒子、新しい力、そして何より新しい場の発見の時代だったという。
                空間はいろいろな目に見えない影響で満ちており、それらは普通の物質に対していろいろな影響を与える。
                発見された場のうち、ランドスケープについて最も多くのことを教えてくれるのはヒッグス場だ。

                普通の真空状態では、知られているほとんどの場の値(強さ)はゼロである。
                磁場も電場もゼロで、上で示したエネルギー曲線では、深い鉢の底に位置している。
                もちろん、それらの場には量子力学的なゆらぎがある。
                しかし、それはほんのしばらくプラスにゆらぎ、それからマイナスにゆらぐ。
                このような急速なゆらぎを無視すれば、場の平均値はゼロになる。
                場をゼロにしないためには、エネルギーが必要なのだ。


                しかしながら、ヒッグス場は少し違う。
                空っぽの空間の中のヒッグス場の平均値はゼロではない。
                ヒッグス場の値(強さ)とエネルギーの関係は図のようになっている。


                曲線が3つ描かれているが、左は超高温状態(ビッグバンが起こった時)の特性で、右は現在の(宇宙が冷え切った時)の特性だ。
                超高温状態(ビッグバンが起こった時)では、曲線は単純な形をしていて、真空の状態は深い鉢の底に位置していた。
                その状態では、ヒッグス場はゼロで、全ての素粒子の質量はゼロだったと考えられている。

                宇宙は膨張するにつれて、急速に冷えていく。
                そして、ヒッグス場の値(強さ)とエネルギーの関係は右図のようになっていった。
                その曲線は、高い山によって他の領域から分離された深い谷が2つある。
                谷の間にある山の頂上では、ヒッグス場の値(強さ)がゼロになる。
                しかし、そこはエネルギーが非常に高い場所だ。
                そのエネルギー密度は、1立方センチの空間で、太陽が百万年かけて放出する全エネルギーに匹敵するという。

                ビッグバンが起こった時には、宇宙にはそれだけのエネルギーがあった。
                しかし膨張して冷えていった宇宙には、もうそれだけのエネルギーが無い。
                だから、真空の状態は山の頂上から谷底へ転がり落ちていった。
                その谷は、エネルギーが最小になっているが、ヒッグス場の値(強さ)はゼロではない。
                だが、それが私たちの宇宙の状態だ。
                ヒッグス場の値(強さ)はゼロでないので、一部を除いて、素粒子は質量を持てるようになったのだ。

                  ・宇宙物理学の記事 : 「質量の起源とヒッグス機構」 → こちら



                ヒッグス場と自然界の有様(ありよう)や振る舞い

                ヒッグス場の値(強さ)とエネルギーの関係が変わったら、自然界はどうなるのだろう?

                もし、ヒッグス場のエネルギー曲線が磁場や電場のように単純な形だったら、真空の状態のヒッグス場の値はゼロになる。
                すると、全ての素粒子は質量がゼロになってしまう。
                それゆえ、全ての粒子(原子も分子も何もかも)は質量がゼロになり、光速で飛び回ってしまう。
                そのような宇宙では、重力によって粒子が集まって構造が形成されることは絶対にない。


                ヒッグス場において、エネルギーが最小になる谷底の場の値(強さ)は、素粒子の質量に影響を及ぼしている。
                もし電子の質量が大きくなると、原子内の電子が原子核にもっと引き付けられて、その化学的性質を劇的に変化させる。
                陽子と中性子を構成するクォークの質量が増え、原子核の性質が変化し、ある段階で原子核は完全に破壊される。
                逆に電子の質量が小さくなりすぎると、電子は原子の中に納まっていられなくなる。


                ここではヒッグズ場を例にして話したが、場によって、このように物理法則が決定されているのだ。
                そして、場が変化しうるから、物理法則は変化しうるのだ。

                では、場の値(強さ)とエネルギーの関係は、どのように決まるのだろう?



                参考図書
                  ・「幸運な宇宙」、ポール・ディヴィス、(訳)吉田三知世、日経BP、2005年
                  ・「宇宙のランドスケープ」、レオナルド・サスキンド、(訳)林田陽子、日経BP社、2006年











                2022.03.19 Saturday

                宇宙物理学  物理法則はどこに埋め込まれているのだろう?

                0
                  ***** 驚くような世界観 > 満たされた宇宙のランドスケープ *****


                  自然界の有様(ありよう)や振る舞いはとても複雑に見えるが、その背後には単純な摂理があるように思える。
                  それが物理法則で、宇宙はそれに従っている。

                  だが、そもそも物理法則の実体とは何だろう?
                  そして宇宙によって物理法則が異なるとしたら、それらはいったい何が違っているのだろう?
                  この疑問に関して、少し前にほんのちょっとだけ話をした。


                    ・宇宙物理学の記事は → こちら

                  この疑問を、素粒子物理学の世界を例として、もう少しだけ深掘りしてみたい。



                  素粒子物理学の世界

                  素粒子とは、それ以上分割できないと考えられている基本粒子のことだ。

                  原子は原子核と電子からできている。
                  原子核は陽子と中性子からできている。
                  さらにそれぞれはクォークからできている。
                  ここで、クォークと電子はそれ以上分割できないと考えられている素粒子だ。

                  そして、自然界の基本的な力は4つだけだ。
                  それらは、強い核力、弱い核力、電磁気力、重力、と呼ばれている。
                  それぞれの力には、関係する素粒子が存在する。

                  これまでにその存在が確かめられた素粒子の性質や、重力を除いた3つの力によって引き起こされる素粒子反応の法則をまとめたものが、「標準模型」と呼ばれるものだ。
                  「模型」というちょっと変わった言葉が使われているが、素粒子物理学の基本法則だ。


                  素粒子の種類は、数え方によって少し異なるが、下に示す図では17種類だ。


                  物質を構成する素粒子はフェルミオンと呼ばれ、クォークの仲間、電子の仲間、ニュートリノの仲間からなり、それぞれ3世代が存在する。
                  3世代が存在する理由はよく分かっていないが、現在の宇宙では、物質はアップクォークとダウンクォークと電子だけで成り立っている。

                  それ以外の素粒子はボソンと呼ばれている。
                  強い核力、弱い核力、電磁気力、に関係する素粒子はそれぞれ、グルーオン、ウィークボソン、フォトン(光子)だ。
                  そして、素粒子に質量を与えているのがヒッグス粒子だ。

                  陽子と中性子は、それぞれ3つのクォークがグルーオンによってまとめられている。
                  そして、陽子と中性子が、同じくグルーオンでまとめられたものが原子核だ。
                  その原子核のまわりに電磁気力で電子をまとったものが原子だ。
                  そして、その原子で最も外側を回っている電子の働きによって、分子や化合物など、あらゆるものを作り上げている。


                  それぞれの素粒子は、以下のようなパラメータによって特徴づけられている。

                     ・フェルミオン(物質を構成する素粒子)
                        ・質量
                        ・電荷
                        ・スピン
                        ・その他の荷(弱荷、色荷 など)
                     ・ボソン
                        ・質量
                        ・電荷
                        ・スピン
                        ・相互作用(種類、強さ、方法 など)

                  私たちのこの宇宙では、それぞれの素粒子のパラメータはある値になっている。
                  だが、どうしてその値になっているかは分かっていない。
                  その値が変われば、自然界の有様(ありよう)や振る舞いはがらっと変わると言われている。



                  素粒子の設計図(仕様書)はどこにあるのか?

                  素粒子はエネルギーから作り出すことができる。
                  粒子加速器を使った実験では、日常茶飯事の事だ。
                  ヒッグス粒子の存在も、CERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)での実験で発見された。
                  2012年のことなので、覚えておられる人も多いことだろう。


                  また、孤立した中性子は不安定で、615秒という半減期で崩壊して陽子になってしまう。
                  これは核物理の分野で知られる「ベータ崩壊」という現象で、同時に電子と反電子ニュートリノが放出される。

                       画像は多田将さんのサイトからお借りしました。 → こちら

                  ここで放出された電子に着目してみよう。
                  その粒子は、確かに素粒子としての電子そのものだ。
                  その特性に寸分の違いもない。
                  では、素粒子としての電子の特性(パラメータ)は、どうして知ったのだろう?
                  その設計図(仕様書)があるとして、それはどこにあるのだろう?



                  基本物理定数

                  自然現象を記述するための基本的な方程式には、幾つかの不可欠な定数が入っている。

                  代表的なものとして、光速度、万有引力定数、プランク定数、などがある。


                  自然界のスケール(大きさ)は、この3つの基本物理定数で決まっているのかもしれない。
                  この3つの基本物理定数から、「プランクスケール」と呼ばれるものを作り出すことができる。

                  言い方を変えると、それらの値が異なる世界は、私たちの世界とは全く異なる振る舞いをするようだ。
                  では、それらの値は、自然界のどこに埋め込まれているのだろう?



                  真空

                  真空という言葉は、普通の使い方では、空っぽの空間を意味する。
                  すなわち、全ての空気、水蒸気、その他の物質が全く無い空間のことだ。

                  しかし、理論物理学者にとっては、真空という用語はもっと多くの意味を含んでいるという。
                  それは一種の背景を意味し、その中で一切の物理が起こる。
                  真空は、その背景の中で起こりうる全ての潜在的可能性を表す。
                  真空は、自然定数や、全ての素粒子の一覧表を意味している。
                  要するに、真空とは物理法則が何らかの特定の形をとる環境ということだ。

                  真空が異なるということは、物理法則が異なることを意味する。
                  物理法則が他の真空では異なるとすれば、他の科学も全て異なるだろう。

                  だが、真空が一種の背景を意味すると言われても、漠然としていてイメージが湧かない。



                  場という考え

                  現代物理学の多くの領域に枠組みを与えているのが「場」という考え方だという。


                  場という概念は、19世紀中頃に、電磁場という形で初めて登場した。
                  マイケル・ファラデーは、場を、運動に影響する空間の滑らかな乱れだと考えた。
                  場は荷電粒子に影響を与えるが、場そのものが粒子でつくられているとは考えられていなかった。
                  ファラデーとその後継者であるマクスウェルにとって、世界は粒子と場でできていた。
                  だが、粒子と場は全くの別物だった。

                  しかし、1905年にアルベルト・アインシュタインがプランクの熱放射の公式を説明するために、突飛な理論を提案した。
                  アインシュタインは、電磁場はそれ以上分割できないたくさんの粒子でできている、と主張したのだ。
                  その粒子を彼は光子と呼んだ。
                  数が少ないときは、光子つまり光の量子は粒子と同じように振る舞う。
                  しかし、それらが大量に組織立って動くと、その集まり全体が場のように振る舞う。
                  それが量子場だ。
                  粒子と場のこの関係は非常に一般的なものだという。
                  つまり、量子力学の誕生の過程で、粒子と場とは、それほど違わないことが分かってきたのだ。


                  仮に粒子がひとつも見当たらなくても、場は空間に広がっている。
                  そして、場のエネルギーが高くなると、ぴょこんと粒子が現れる。
                  粒子がいなくなれば場のエネルギーは小さくなるが、粒子がひとつも見当たらなかったとしても、場が消えるわけではない。
                  また、場は温度変化に対して普通の物質とほぼ同じように反応し、温度が高くなると場の値は激しく上下する。


                  自然界に存在する各粒子にはそれぞれの場があり、それぞれの場には粒子がある。
                  そのため、場と粒子は、しばしば同じ名前で呼ばれる。

                  素粒子の標準模型では、素粒子として、物質を構成するもの、力に関係するもの、そしてヒッグス粒子がある。
                  だから、その分け方に習うと、物質の場、力の場、そしてヒッグス場、と様々な場があることになる。

                  それぞれの場には、それに対応した素粒子の設計図(仕様書)が埋め込まれているはずだ。
                  それは場の性質(特性)という形で暗号化されているのかもしれない。

                  また、基本物理定数も同様だ。
                  例えば、光速度の値は、光(光子)の場に埋め込まれているはずだ。


                  結局のところ物理法則が変化するのは、物理法則が場によって決定されており、場が変化しうるからなのだろう。



                  参考図書
                    ・「幸運な宇宙」、ポール・ディヴィス、(訳)吉田三知世、日経BP、2005年
                    ・「宇宙のランドスケープ」、レオナルド・サスキンド、(訳)林田陽子、日経BP社、2006年











                  2022.03.16 Wednesday

                  宇宙物理学  マルチバースと人間原理

                  0
                    ***** 驚くような世界観 > 人間原理 *****



                    復習 : この宇宙は人間(生命)に都合よくできている

                    生命が誕生して進化を遂げるためには、様々な条件が満たされていなければならない。

                    見方を変えると、私たちが存在するということは、私たちのこの宇宙はそれらの条件が満たされているということになる。
                    その様子を詳細に見ていくと、この宇宙は様々な点で、生命にとって「ちょうどよい」ように見えてくる。
                    原子の性質から銀河の分布に至るまで、どれかひとつでも違っていたなら、生命が存在する可能性はほとんど皆無だったろう。

                      ・宇宙物理学の記事 → こちら

                    この事実を、どのように受け止めればいいのだろう?
                    ざっくり言って、3つの考え方があるようだ。
                       (1) 偶然にすぎない。
                       (2) 究極の理論が見つかれば、それで説明できるかもしれない。
                       (3) 人間原理で説明するしかない。

                    (1)
                    多少のことなら偶然で説明できるかもしれないが、流石に「真空のエネルギー問題」は無理だろう。
                    理論的に予測された値と、実際に観測された値が、何と120桁も違うというのだ。
                    このずれが偶然で生じる確率は、コイン投げで400回連続で表が出るのに匹敵するそうだ。

                    (2)
                    究極の理論、それは、到達できるかぎり最も深いレベルで宇宙の仕組みを明らかにする理論だ。
                    だから、全ての物理定数などは、その理論で説明されるはずだ。
                    そう信じて、多くの物理学者が取り組んでいる(取り組んできた)。
                    超弦(ひも)理論はその最有力候補として期待されていたが、どうもそれは夢だったようだ。
                    究極の理論は存在するのだろうか?



                    復習 : ブランドン・カーターの「強い人間原理」

                    ブランドン・カーターは、それらは、私たち(知性ある観測者)が存在するという条件を課すことにより説明できるという。
                    つまり、宇宙は(それゆえ宇宙の性質を決めている物理定数は)、ある時点で観測者を創造することを見込むような性質をもっていなければならない、と言うのだ。

                    この考えは「強い人間原理」と呼ばれるが、目的論的な匂いが感じられて、多くの物理学者に忌み嫌らわれた。

                      ・宇宙物理学の記事 → こちら

                    ところが、こうして強い人間原理とはどういうことかを説明したカーターは、それに続けて意外な方向に話を進めた。
                    彼は、「物理定数の値や初期条件が異なるような、無数の宇宙を考えてみることには、原理的には何の問題もない」と言い出したのだ。

                    今日の観点から解説するなら、カーターは「強い人間原理とは言っても、観測選択効果のようなものにすぎない」と言っているのだ。
                    つまり、私たちは無数にある宇宙のなかで、たまたま私たちの存在を許すような宇宙に存在している、というだけのことになる。
                    しかし、強い人間原理が観測選択効果であるためには、無数の宇宙がリアルに存在している必要がある。

                    こうして、予想外の成り行きにより、「宇宙は私たちの宇宙だけでなく、性質の異なる無数の宇宙がある」という多宇宙ヴィジョンを、まじめに受け止めなければならなくなった。



                    マルチバースの宇宙論

                    それでは、「宇宙は私たちの宇宙だけでなく、性質の異なる無数の宇宙がある」のだろうか?

                    そう考えている研究者は少なくない。
                    最近の宇宙論では、「多宇宙(マルチバース)」が花盛りのようにも感じられる。
                    もちろん、そう考えていない研究者もいる。

                      ・宇宙物理学の記事「多宇宙(マルチバース)とは?」 → こちら

                    多宇宙(マルチバース)といっても、その定義には様々なものがある。

                      ・宇宙物理学の記事 → こちら

                    「強い人間原理」の観点からは、多宇宙(マルチバース)には以下のことが要求される。
                       ・それぞれに性質が異なる。
                       ・それらは無数にある。

                    その中で最も研究が進んでいるのは「永久インフレーションによる泡(ポケット)宇宙」だろう。


                      ・宇宙物理学の記事 → こちら

                    今日では、「インフレーション+ビッグバン」モデルは、様々な理論や観測に裏打ちされた信憑性の高いモデルと評価され、「宇宙論の標準モデル」とさえ呼ばれている。
                    そして、その「宇宙論の標準モデル」から、「宇宙は私たちの宇宙だけではない」というヴィジョン(多宇宙ヴィジョン)が、ごく自然に生まれてきているのだ。

                    このヴィジョンの全体像では、インフレーションの海(インフレーションを起こしている領域)の中に、インフレーションが収束した領域が浮かんでいる。
                    その領域のことを、「泡宇宙」とか「島宇宙」などと呼ぶ。
                    かつては「ビッグバンの直前に、ほんの一瞬起こった出来事」だと思われていたインフレーション期が、「インフレーションを起こしている空間のほうが普通」になっているのだ。

                    インフレーション・モデルから多宇宙ヴィジョンが自然に生まれてきたことは、人間原理にとっては大きな転換点となった。



                    超弦(ひも)理論

                    さらなる転換点は、超弦(ひも)理論からやってきた。

                    超弦(ひも)理論は、いわゆる「究極理論」の有力候補と考えられていた。
                    ところが、研究が進むうちに、宇宙には別のありようもあるのかもしれないという可能性が浮かび上がってきたのだ。
                    その可能性は、ひも理論が記述する宇宙の空間次元と関係している。
                    超弦(ひも)理論がうまくいくためには、空間次元は3次元ではなく、9次元(のちには10次元に増えた)でなければならない。
                    重要なのは、その増えた次元がどんなふうに丸まっているかによって、宇宙の性質が違ってくるということだ。
                    その可能性はどんどん増えていき、2000年には、超弦(ひも)理論から出てくる青写真の種類は、10500を下らないことが示された。
                    これはもう、事実上、無限ともいえる途方もない大きな数である。

                    ところが、この悪い知らせを聞いて、ついにこのときが来た、とばかりに喜んだ人物がいた。
                    弦(ひも)理論の提唱者のひとりであり、この分野の研究をリードしてきた、カリスマ的な物理学者であるレオナルド・サスキンドだ。
                    サスキンドは、ここで発想を逆転させた。
                    そもそもこの宇宙は、ほんとうにシンプルかつエレガントなのだろうか?
                    とてもそうとは思えない。
                    実はサスキンドはしばらく前から、ひょっとすると人間原理は宇宙を理解するための重要な鍵を握っているのではないかと感じていたのだった。
                    しかし、超弦(ひも)理論から出てくる青写真が、たった百万種類程度しかないうちは、「たくさんある中に、たまたまぴったりの宇宙があったのだ」という論法をとるにはまだ足りなかった。
                    ワインバーグのラムダに関する予測がみごとに的中したときも、まだ人間原理を信用してなかった。
                    しかし青写真の種類が10500通りもあるとなって、それだけあれば十分だ、とサスキンドは腹をくくったのだ。

                    宇宙は(古典的なイメージでざっくり説明するなら)、山あり谷ありの「風景」(ランドスケープ)の中をボールのように転がりながら、谷の部分に落ち着く。
                    その谷が宇宙の青写真だ。
                    そして青写真がほとんど無限にあるということは、強い人間原理が、怪しげな目的論から、単なる観測選択効果になるということを意味するのである。
                    サスキンドは、このランドスケープの多宇宙ヴィジョンを、「人間原理のひもランドスケープ」と名付けた。




                    多宇宙ヴィジョンは科学なのか

                    もしも大きな宇宙の中に様々な環境の地域があるのだとすれば、「強い人間原理」もまた「弱い人間原理」と同様、ただの観測選択効果になってしまう。
                    「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」という問いに対する答えは、「私たちは存在可能な宇宙に存在しているだけであって、この宇宙がこのような宇宙なのはたまたまである」、ということになってしまう。

                    「宇宙は環境科学になった」といった言葉も折に触れて見聞きするようになった。
                    環境科学になったと表現してみることで、宇宙論に起こりつつあるパラダイム転換の性格をとらえようとしているのだろう。

                    この新しい宇宙観を、どう受け止めればよいのだろうか?
                    レオナルド・サスキンドは、「多宇宙(マルチバース)」より「巨大宇宙(メガバース)」と呼ぶほうがいいだろうと言っている。


                    かくして人間原理をめぐる問題は大きく変質した。
                    もはや「目的論を受け入れるかどうか」は争点ではない。
                    今日、人間原理をめぐる真の争点は、「多宇宙ヴィジョンは科学なのか」ということなのだ。

                    多宇宙ヴィジョンは科学ではないと考える人たちの最大の論拠は、ほかの宇宙を直接的に観測することが未来永劫決してできない、という点である。
                    見ることも触ることもできないものの存在に頼って、この宇宙の性質を説明しようとするのは、観測と実験に基づく科学の方法とは言えないのではないだろうか?、というのである。

                    また、人間原理はなんら具体的な予測をしないではないか、という批判がある。
                    それゆえ、検証可能な予測をできない人間原理は科学でない、という考え方が出てくるのも無理はない。


                    ここでは問題提起だけにして、続きはまた改めて話そうと思う。



                    参考資料
                      ・「人間原理、とんでもなく幸運であること」、Nature Vol.439(10-12)/5 January 2005 → こちら

                    参考図書
                      ・「幸運な宇宙」、ポール・ディヴィス、(訳)吉田三知世、日経BP、2005年
                      ・「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」、青木薫、講談社現在新書、2013年











                    2022.03.13 Sunday

                    宇宙物理学  私たちがこの時代に存在するのは偶然か?

                    0
                      ***** 驚くような世界観 > 私たちの宇宙はなぜこうなのか? *****


                      ダークエネルギーは、まだその正体が明らかになっていない。
                      だが、それを「真空のエネルギー」だと考えている研究者が多いようだ。
                      ここでは「ダークエネルギー」という言葉を使うが、「真空のエネルギー」と読み直してもらってもよいと思う。



                      宇宙を支配しているエネルギーの推移

                      宇宙のエネルギーは主に以下の3つで構成されている。
                         ・物質(通常の物質、ダークマター)
                         ・ダークエネルギー
                         ・放射(光、ニュートリノ)

                      下図は、それぞれのエネルギー密度の大きさを、ビッグバンからの時間に対してプロットしたものだ。
                      曲線の右端が現在(138億年)だが、物質が約30%で、ダークエネルギーが約70%になっている。


                      一般に時間が経過して宇宙が膨張していくにつれ、エネルギー密度は以下のように推移していく。
                         ・物質は、宇宙の大きさの3乗に反比例して減少する。
                         ・ダークエネルギーは一定で変化しない。
                         ・放射は、宇宙の大きさの4乗に反比例して減少する。

                      だから、昔に遡るほど、物質と放射のエネルギー密度は高かったのだ。
                      図のピンク色の領域は、物質のエネルギー密度が支配的だった期間だ。
                      図の青色の領域は、放射のエネルギー密度が支配的だった期間だ。

                      現在は、物質とダークエネルギーの立場が逆転した直後ということになる。



                      これは偶然の一致か?

                      現在のエネルギー密度の様子を見直してみよう。

                      物質のエネルギー密度とダークエネルギーの密度は数倍しか違わない。
                      放射のエネルギー密度は、それらと比べると3〜4桁ほど低くなっている。

                      だが、宇宙初期には、それぞれはもっと桁違いに異なっていた。
                      そして、将来は時間の経過と共に、それぞれの値の違いはまた大きくなっていく。

                      それを考えると、3つのエネルギー密度は、現在は「かなり近い値」になっていると見なすことができるだろう。
                      特に、物質のエネルギー密度とダークエネルギーの密度は「同じような値」になっている。

                      これを、とても不思議だと感じている宇宙物理学者は少なくないようだ。

                      このような状況になったのは、過去にもなく将来にもなく、現在だけだ。
                      そして、人類が初めてこのような数値を測れるようになったときが、その時期だったのだ。
                      これは単に「たまたま」なのだろうか?



                      少し考察してみよう

                      第1世代の恒星が生まれるときには、宇宙には元素として水素とヘリウムしか無かった。
                      だから、たとえ惑星系が形成されたとしても、それはヘリウムが混ざった水素ガスの単なる塊だったろう。
                      そして、水素とヘリウムしか無かったのだから、生命が誕生して進化することもなかった。

                      恒星の内部ではヘリウムより重い元素が合成され、それらは超新星爆発によって周囲に撒き散らされる。
                      この超新星爆発では、同時にさらに重い元素が合成される。
                      炭素(C),酸素(O),窒素(N),硫黄(S),リン(P)などの、生命に必要な元素はこうして作られたのだ。


                      私たちの太陽は、第3世代の恒星として、今からおよそ45億年前に誕生した。
                      太陽を生み出したガスの塊には、僅かだが、ヘリウムより重い元素が含まれていた。
                      どのような恒星が誕生するかという観点からは、これは非常に重要な要素だ。
                      結果的に、100億年もの長い間、安定して輝き続ける恒星が誕生した。

                      太陽の周囲には、後に惑星系を作り出すガスが、回転しながら円盤状の構造を作り出していた。
                      やがて惑星のひとつとして地球が誕生した。
                      およそ46億年前のことだ。
                      それから5〜10億年ほどが経過して、最初の生命が誕生したと考えられている。
                      そして、それから数10億年もの長い時間をかけて、現在の人類にまで進化した。


                      このように考えていくと、この宇宙では、この時期に私たちが存在していることはとても自然のように思える。
                      だが、それは、この宇宙がこのような宇宙だからなのだろう。

                      この宇宙では、宇宙を構成しているエネルギーとその推移は上記のようになっている。
                      そうでなかったら、この時期に私たちはおそらく存在していなかったのではないだろうか。


                      これは「偶然の一致問題」とも呼ばれている。
                      もっとまともな考察がないかと探してみたのだが、見つからなかった。



                      参考図書
                        ・「宇宙はどのような時空でできているのか」、郡和範、ベレ出版、2016年
                        ・「マルチバース宇宙論入門」、野村泰紀、星海社新書、2017年











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