2020.09.24 Thursday
宇宙物理学 特殊相対性理論 (1)
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ときどき、区切りのよいところで基礎物理学を勉強しようと思う。
まずは相対性理論だ。
でも最初に断っておくが、相対性理論を系統立てて説明することなど私にはとても無理だ。
そこで読んだ本のなかで「ふむふむ」と感じたところを寄せ集めてみる。
相対性理論はアルベルト・アインシュタインによって構築されたもので、「特殊相対性理論」と「一般相対性理論」がある。
前者は時間と空間を物理的に考察して、それまで誰も気づかなかった時間と空間の振る舞いを明らかにしたものだ。
ただし、互いに等速直線運動している場合しか扱えないので、特殊という名前が付いている。
まずはその「特殊相対性理論」だ。
出発点
光の速さで飛べることができたら,自分の目の前に置いた鏡に自分の顔が映るのだろうか?
飛んでいく光を、光速で追いかけたら、光は止まって見えるのだろうか?
アインシュタインは16歳の頃からそんな思考実験をしていたそうだ。
日常では、物体の速度はそれを測る人の状態によって変わる。
例えば高速道路を時速100kmで走っている車を同じ速度で追いかけたら、まわりの景色は飛び去っていくように見えるが、相手の車はほぼ静止しているように見える。
では光の速度はいったい誰が(どんな状態の人が)測ったものだろうか?
電磁気学のマックスウェル方程式からは、測定の基準を定めなくても、電磁波の速度は秒速30万kmという数字がぽろりと出てくる。
アインシュタインは、測定の基準が出てこないなら、そんなものは必要ないのだと考えた。
そして、光の速度が常に同じ値で観測されることを、自然界の真理なのだとした。
特殊相対性理論における理論の柱は次の2つである。
・光速度不変の原理 : 光の速さは誰が(どんな状態の人が)測っても同じ値になる
・相対性原理 : 止まっていても動いていても、物理法則は変わらない
この2点だけを出発点として、アインシュタインは時間と空間の驚くような振る舞いを明らかにしていった。
その驚くような振る舞いを、とにかく列挙してみよう。
・運動しているものは、時間の進みが遅くなり、運動方向に縮まって見える。
・運動は相対的なものだから、それは互いにそう見える。
・しかしどちらも、自分に関しては何の変化も感じない。
・人はみな、自分だけの時計とものさしを持っている
・それらはどれも等しく正確だが、人が互いに相対運動をすると食い違いが生じる。
・相対運動をしている人は、何と何とが同時に起こったかについて意見が一致しない。
・光は追いこせない。
・速度は単純には足せない
・エネルギーと質量は等価である。
・速く走ると質量が増える。
光速度不変の原理からの帰結は?
どうしたら誰が(どんな状態の人が)測っても光の速度は同じ値になるのだろう?
あらゆるものの速さとは、光を含めて、与えられた時間内に物体が空間を進む距離である。
通常、距離を測るには物差しが用いられ、時間を測るには時計が用いられる。
従って、問いは次のように言い換えることができる。
誰が(どんな状態の人が)光の速度を測っても同じ値になるには、物差しと時計に何が起きなければならないのか?
これを突き詰めていくと、以下のようなことを認めざるを得なくなる。
人はみな、自分だけの物差し(空間)と時計(時間)を持っている。
それらはどれも等しく正確だが、人が互いに相対運動をすると食い違いが生じる。
特殊相対性理論はしっかりと考えれば中学程度の数学だけで理解できるという。
ただし、その理解のためには、時間とl空間が固定されたものだという従来の常識を捨てなければならない。
お互いに運動している2人にとって、お互いに相手の時間がゆっくりと流れているように見えるという。
こうしたことが一見矛盾しているように見えるのは、時間や空間が誰にとっても共通のものだという固定概念によるそうだ。
実際には、時間や空間は絶対的なものではなく、人や物の運動状態によって変化する相対的なものだったのだ。
相対性原理
等速直線運動をしている座標系は「慣性系」と呼ばれる。
この「座標系」とか「慣性系」という言葉はいつまで経っても馴染めない。
こんなことが物理が嫌いになってしまう要因のひとつなんだろうなあ?
相対性原理は何もアインシュタインが最初に言い出したことではない。
ガリレイの相対性原理というのがある。
「等速直線運動をしている2つの座標系があったとき、どちらの座標系でも力学法則は同じでなければならない」というものだ。
ある慣性系における物理現象の記述を別の慣性系での記述に変換するためには、座標変換の操作が必要となる。
「ガリレイ変換」はそんな座標変換の方法のひとつである。
ガリレイ変換の前後で、ニュートン力学の法則は不変に保たれる。
しかし、電磁気学のマクスウェル方程式はガリレイ変換をすると形が変わってしまう。
アインシュタインの相対性原理は、電磁気学でも同じ法則が成立するように求めるものだ。
ここが、力学だけを対象にしたガリレオの相対性原理と異なる。
時間の進みが遅くなる
高さ3mの電車が(地表に対して)光速に近いスピードで走っていたとしよう。
そして、この電車内で、光を床から発しそれを天井で反射させてまた床で検出するという実験をしたとしよう。
これを電車の中にいる人から眺めたとすると、光は総計6mの距離を進んだことになる。
いま議論を簡単にするため光速が秒速6mだとすると、光が発せられてから検出されるまでにかかった時間は1秒だということになる。
→ 図の左
しかし、この実験を地表の人から見るとどうなるだろう?
光が発せられてから検出されるまでに進んだ距離は、電車が動いている分だけ長くなる。
例えばその距離が12mだったとしよう。
→ 図の右
すると、地表の観測者にとっては光が発せられてから検出されるまでにかかった時間は(光の速さは誰にとっても同じ秒速6mなので)2秒ということになるのである。
つまり、ふたつのイベント(光が発せられたことと検出されたこと)の間にかかった時間は、電車内の人にとっては1秒で、地表の人にとっては2秒なのである。
空から降ってくるミュー粒子が見る世界
宇宙線が地球大気に突入すると、様々な粒子に変化し、中でも「ミュー粒子」という素粒子が地上にたくさん届く。
しかしミュー粒子は、平均して2マイクロ秒(50万分の1秒)程度しか寿命がないので、600mほどしか進めないはずだ。
ところが実際のミュー粒子は、大気中を10kmも進んで地上に到達できる。
これは、ミュー粒子が光速に近い速さで進むので、ミュー粒子にとっての時間の進み方が地上における進み方よりもずっと遅くなるためだ。
ミュー粒子にとって自分の寿命は変化していないのだが、地上から見るとその寿命が大きく伸びて見えるのだ。
視点を変えて、もしミュー粒子と一緒に移動したとすれば何が起きるだろう。
実は、猛スピードで動いているミュー粒子からすれば、周りの世界が進行方向へひどく縮んでしまう。
つまり、私たちにはミュー粒子が10kmほど進んだように見えても、ミュー粒子にとってはそれが100mかそこらにしか見えないのだ。
このためミュー粒子は、自分の寿命の範囲内で地上に到達できる。
相対性理論によると、猛スピードで動いているもの同士は、お互いに異なる時間の流れと異なる空間の尺度を感じることになる。
つまり、上空で宇宙線から生まれたミュー粒子は、地上とは違う時間の流れと空間の尺度の中を進む。
話の後半部分、ミュー粒子からは周りの世界がどのように見えるのか、というところがなかなか頭に入っていかない。
ミュー粒子にとって周りの世界(地上の世界、私がいる世界)は広大なので、視点の転換がうまくできないのだと思う。
頭が固いと言われればそれまでなのだが、、、。
続く。
相対性原理の話でいつも疑問に思う事ですが・・・。
光速で旅すると浦島効果があるという話は有名ですね。
昔のSFのモチーフにもよく出てきました。
地球に恋人を残して光速船で任務に就き、数週間して帰ってきたら恋人が老人になっていた、あるいは子や孫が自分より高齢者になっていた、というあれです。
疑問に思うのは、相対性という日本語をそのまま受取れば、光速で動いているのが宇宙船ではなく地球の方だともいえるのではないかという事。
だとすれば宇宙船で戻ってきた恋人の方が老人になっていてもいいはず・・・と。
この疑問、どこが間違っているのかわからないんです(苦笑)。
地球から見て宇宙の膨張速度が光速に達する限界「宇宙の地平線」は、逆にそこから見える宇宙の地平線上に地球があるともいえるはず。
つまりどちらからも相手が光速で遠ざかっているという事になると・・・。