2020.10.26 Monday
宇宙物理学 多世界解釈
***** 基礎物理学 > 量子論 *****
量子論は、直観や常識からすると、すぐには受け入れることが困難な世界だ。
今日の話は、そんな量子論の中でも、桁外れにびっくりするようなものだ。
ヒュー・エヴェレット3世の考えが世に出た時、あまりに画期的過ぎてほとんど受け入れられなかったという。
でも順序立てて考えていくと、しっかりと筋が通っている。
今では大多数とは言えないまでも、多くの物理学者がこの考えの基本的な描像を支持しているそうだ。
注意してほしいこと
以下のような、かなりインパクトがある言葉が出てくる。
・世界の分裂
・世界の分岐(枝分かれ)
・多世界
・平行世界
大きな誤解を招きかねない含みのある言葉なので、言葉に惑わされないようにしてほしい。
もっと適切な表現を使いたいのだが、そんな言葉が見つからずに使っている人が多いようだ。
そして、人によって微妙に違うニュアンスで使っている場合も多いように感じる。
量子力学の解釈問題
どんな理論にも、物理学者の仕事は2つあると言われる。
ひとつは、数学的な記述を提供することだ。
その方程式によって、さまざまなことを計算できるようになる。
もうひとつは、その方程式の「解釈」を提供することだ。
それによって世界の(宇宙の)より正しい姿を思い描くことができるようになる。
量子力学では、前者に関しては完成されたと言っていいだろう。
方程式をどう用いれば正確な予測ができるか、については誰もが同意見だ。
しかし、量子力学が本当は何を意味しているのかをめぐる議論は今も衰えを見せていないらしい。
量子力学において、この自然界をどのような枠組みで捉えるべきなのかという議論は「量子力学の解釈問題」と呼ばれる。
その代表(主流)は「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるもので、これはすでに説明した。
→ こちら
しかし、コペンハーゲン解釈での「波の収縮」が納得できない人は当時からいた。
・観測で何が起こるのか?
・それは量子力学(シュレーディンガー方程式)で扱うことができない。
・複数の可能性のうち、どうしてそのひとつだけが選ばれるのか?
・選ばれなかった可能性はどうなったのか?
ヒュー・エヴェレットの量子力学
プリンストン大学の大学院生であったヒュー・エヴェレット3世は、以下のような考えを1957年に提案している。
コペンハーゲン解釈では、世界を観測される対象と観測者の2つに分け、観測される対象だけにシュレーディンガー方程式を適用する。
しかしエヴェレットの解釈では、世界を2つに分けることはせずに、観測者も含めてシュレーディンガー方程式を適用する。
そして、観測による波の収縮というような現象は起きない。
そうではなく、人間が観測を行うことによって、観測結果がひとつに決まってしまう世界しか認識できなくなるのだ。
シュレーディンガーの猫の思考実験で考えてみよう。
箱の中では、猫が生きている世界と死んでいる世界が同時進行している。
だが、箱を開ける前の観測者には、中がどうなっているのか区別がつかない。
知りえない箱の中だけが異なり、その他はまったく異なることのない重複した世界にいるといってもよい。
箱を開けてみた瞬間に、生きている猫をみた観測者と死んでいる猫を見た観測者との区別がつくようになる。
この状態の波動関数は、観測者が生きている猫を見て喜んでいる状態と、観測者が死んでいる猫を見て悲しんでいる状態とを、同時に記述している。
依然として波動関数は1つであり、従って量子的存在も1つだ。
だが、波動関数はお互いに無関係な成分に分かれてしまい、事実上、私たちの世界は2つに枝分かれしたかのように見えるのである。
ふたつの結果はどちらも存在するが、観測者にとってはどちらか一方になったとしか思えない。
事実上、異なる結果を見た2人の観測者になったのだ。
お互いに無関係な成分に分かれた部分は、同じ時間と空間の中で存在することができる。
だから、その各々の部分はそれだけでひとつの世界であるかのように見えるのだ。
エヴェレットがこの解釈を示したとき、彼は世界が分裂するなどとははっきり言わなかった。
しかし、その分かれた世界は全て「現実」であり「実在」なのだ。
多世界解釈
エヴェレットの量子力学は当初、10年もの間ほとんど完全に忘れられていた。
しかし有名な量子重力研究者であるブライス・ドウィットによってはじめて広く知られるようになった。
ドウィットはエヴェレットの理論を量子力学の「多世界解釈」と呼び、この名前が定着した。
エヴェレットやドウィットの研究の時点では、観測するたびに世界が無関係な部分に分かれてしまう、その根本的な理由がはっきり示されなかった。
このため、なにかオカルトめいた面も拭えなかった。
その後、多世界解釈を支持するような研究が現れてきた。
それは「量子デコヒーレンス」という現象だ。
測定装置や人間などは、数えきれないほど大量の原子が集まったマクロの世界だ。
そんな大量の粒子が関係し合って、最終的に測定結果は人間が理解できる形になる。
しかし、その過程を経ると、もはや人間が見る世界には量子力学特有の奇妙な振る舞いが影を潜めてしまう。
それは、複数の可能性の間につながりが無くなってしまうことを意味する。
そしてそれ以後は、お互いに無関係な世界として同時進行していくように見えるだろう。
2つ以上の波が互いに影響しえなくなると、互いに見えなくなる。
それぞれの世界では、他の結果が消えたように見えるということだ。
つまり各世界のなかでも、確率波が収縮したかのように見えるということだ。
しかしコペンハーゲン解釈とは異なり、「かのよう見える」だけで、結果は1つだけではなく全て実現するのだ。
多世界解釈の説明 その2
本によって解釈や言い回しが異なる。
多世界解釈では、マクロの世界でも複数の状態が共存している。
しかしそれは互いに無関係で干渉することのない、別個の世界である。
何の影響もないのだから、他の世界の存在が実感されることもありえない。
独立かつ無関係な世界が「多数」存在することになる。
これが「多世界解釈」という言葉の由来である。
「分岐」という言葉を使うことがあるが、1つの世界がいくつかに分かれるといっているのではない。
互いに影響を及ぼし合っているので1つのグループとして考えるべき複数の状態が、互いに無関係ないくつかのグループに分かれるという意味である。
多世界解釈の説明 その3
本によって解釈や言い回しが異なる。
エヴェレットの解釈では、世界は量子論の枠組みの中だけで説明され、状態がひとつに決まるのは観測する人間の側の問題だと考える。
つまり、量子論に出てくるすべての可能性はこの物理世界に実現していると考えるのだ。
理由ははっきりしないが、人間にはその中のひとつの可能性だけしか認識できない。
観測者としてのあなたが認識できなくなってしまった世界は、並行世界となって存在し続ける。
そこでは、観測者としてのあなたも、すべてのありうる世界に無数に分裂していくことになる。
ただし、互いにその存在に気づくことは決してない。
エヴェレット解釈の支持者であるブライス・ドウイットは、この解釈を「多世界解釈」と呼んだ。
この宇宙の実体は本質的に多世界であり、そのうちのひとつの世界だけを人間の意識が切り取って認識していることになる。
その意味で、世界が多数あるというより、何か本来の複雑怪奇な世界(宇宙)の姿があって、その限られた部分だけしか私たちに見えていないのだ、
というほうがよいかもしれない。
多世界解釈の説明 その4
本によって解釈や言い回しが異なる。
シュレーディンガーの猫
観測者がどちらの結果を観測しようと、もう1つの状態(世界)が収縮して消滅するわけではない。
2つの異なる世界の重ね合わせ状態だが、観測者は観測の結果として、どちらかの世界にいたのかが確認できるだけだ。
つまり、観測結果によらず、その2つの世界が共存していると解釈するのだ。
この解釈に従えば、それぞれの世界での猫の生死は箱を開ける前から確定している。
観測とは、猫の生死の状態を確定させるのではなく、観測者が共存する複数の世界のどこに住んでいるか確認するだけの意味しかない。
微視的な観測問題は、巨視的世界観の違いをもたらすことになる。
コペンハーゲン解釈は、世界は観測された1つだけしか実在しない。
多世界解釈は、異なる可能性に対応した複数の世界が存在する。
「エヴェレットの多世界解釈では、観測をするたびに世界が分岐する(つまり、新しい世界が生まれる)」といった説明をよく見かける。
そう考えても良いのかもしれないが、自分が今まで住んでいた世界が次々と分岐するというよりは、すでにあらゆる可能性に対応する無数の世界が準備されており、自分はその中のどの特定の世界に存在しているかを確認したに過ぎないと解釈したほうが素直だと思う。
シュレーディンガーの猫で波動関数を追いかけてみよう
シュレーディンガーの猫の問題で波動関数の時間発展を追ってみよう。
ただし、私はシュレーディンガー方程式をいじったことがないので、とんでもない勘違いをしているかもしれない。
放射性元素の波動関数をφatomとする。
実験を開始すると、2つの状態の重ね合わせになる。
まだ崩壊していない状態(φatom_A)
崩壊した状態(φatom_B)
ふたを開けて中を見ると、そのどちらかの状態が観測される。
そして2つの状態は無関係になる。
猫の波動関数をφcatとする。
実験を開始すると、放射性元素の状態に応じた2つの状態の重ね合わせになる。
生きている猫の状態(φcat_A)
死んでいる猫の状態(φcat_B)
ふたを開けて中を見ると、そのどちらかの状態が観測される。
そして2つの状態は無関係になる。
観測者の波動関数をφmanとする。
実験を開始しても、箱の中を見るまでは状態は変わらない
この状態の波動関数をφman_ABとする。
ふたを開けて中を見ると、猫の状態(及び放射性元素の状態)に応じて2つの状態に分かれる。
生きている猫を見て喜んでいる状態(φman_A)
死んでいる猫を見て悲しんでいる状態(φman_B)
観測者がふたを開けて中を見ることで、状態が2つのグループに分かれて、世界が枝分かれする。
というイメージを表現したかったのだが、無理でした、、、。
多世界解釈を受け入れられるか?
エヴェレットの解釈に対する評価は、
・決して見ることのできない多数の平行世界
・そしてそこには自分のクローンが存在する
という世界の描像を受け入れられるかどうかだと思う。
多くの人は、自分が五感で感知する世界が絶対だと思っているはずなので、すぐには無理だろう。
私も10年前はそうだった。
しかし、いろいろな本を読んでいくうちに、少しづつ変わってきた。
五感で感じる世界はもしかしたら幻想かもしれないということを、頭から否定できなくなってきているのだ。
確かに、エヴェレットの解釈は量子論の不思議な振る舞いをうまく説明してくれる。
だが、気が遠くなるほどの数の平行世界を受け入れなければならない。
ほぼ無限大ともいえる数だ。
しかも、それは今も猛烈な勢いで増え続けている。
これには、ちょっと腰が引けてしまう。
さらに、エヴェレットの解釈では確率はどうなるのだろう?
シュレーディンガーの猫で、猫が生きている確率が70%で、死んでいる確率が30%のときに、世界はどのように分岐するのだろう?
記述している本が無くもないが、ほとんど理解できなかった。
参考図書
・「量子力学が語る世界像」、和田純夫、講談社ブルーバックス、1994年
・「隠れていた宇宙」、ブライアン・グリーン、(訳)太田直子、早川書房、2011年
・「宇宙に外側はあるか」、松原隆彦、光文社新書、2012年
・「数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて」、マックス・テグマーク、(訳)谷本真幸、講談社、2014年
・「目に見える世界は幻想か?」、松原隆彦、光文社新書、2017年
・「不自然な宇宙 宇宙はひとつだけなのか?」、須藤靖、講談社ブルーバックス、2019年
・「量子力学が語る世界像」、和田純夫、講談社ブルーバックス、1994年
・「隠れていた宇宙」、ブライアン・グリーン、(訳)太田直子、早川書房、2011年
・「宇宙に外側はあるか」、松原隆彦、光文社新書、2012年
・「数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて」、マックス・テグマーク、(訳)谷本真幸、講談社、2014年
・「目に見える世界は幻想か?」、松原隆彦、光文社新書、2017年
・「不自然な宇宙 宇宙はひとつだけなのか?」、須藤靖、講談社ブルーバックス、2019年